◆投稿「私のワルキューレは?」

 日々の生活では埋もれてしまっていても、ふとしたことから鮮明に蘇える思
い出、色褪せない想い、おそらく多かれ少なかれあるかと思います。ただ、そ
れが何なのかは人それぞれですけれど。こうした普段閉じ込もっている感情を
解き放つ鍵もまた、あの時流れていた歌であったり、一枚の写真や本にあった
一節、あるいは一見して何の変哲のない物だったりと実に様々。時折、これら
を肴(さかな)にしては、当時と当時の感情を、今思い出しても苦笑してしま
うこともない混ぜにしながら他人と盛り上がる。しばし時間や場所、世代を越
えて。
 常に新しい物が生み出され消費されてゆく時代、ゲームもまた例外ではない。
だがしかし、最新のもの古いものかはもとより、メジャーか否かに関係なく、
今も強く心に残っているソフトが人それぞれあるのではないでしょうか。そし
て、対象がたとえゲームであったとしても、そこに込められた思いは何ら変わ
りはしないでしょう。そのような思いを語るとき、それを必要とし聞きたいと
いう人がいるかぎり、過去においてではなく今現在も、対象は価値を持ち続け
ているのだと私は思っています。

 さて、ファミリーコンピュータ用ソフトとして『ワルキューレの冒険』が発
売されてからすでに15年ほどの年月がたちます。それほどの時間がたってい
ても忘れずに覚えており、どこかでワルキューレの話題が上がると気になりま
す。
 これまでに設定資料集、小説のような書籍はもとより、色々な雑誌などでも
取り上げられましたし、それからCD、テレカ・下敷き・レターセット等々、
グッズやプライズも結構あります。最近それにガシャポンも加わりましたか。
もっとも、ゲームの方で『新作』という話は聞かないですし可能性も低いとは
思います……
 今でも気になるその理由、自分でもよく分からないのですけれど、先ほど挙
げた関連するもの・情報を頼りに、少し立ち止まって振り返ってみるには丁度
よい時期かもしれないと思ったしだいです。
 私が描くワルキューレに対するイメージを一言でいえば「騎士、英雄」にな
ります。

・どんな困難に対しても一歩も引かない、精神面の強さ
・もの静か。地上の住人達とふれあうことで、しだいに感情、心というべきも
のが生まれていったのかも?
・思いやりのある方

 これら外見、内面のイメージは、ゲームをやっていくうち段々と作られてい
きました。そこで以下、各作品についてふれようと思います。


1.『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』1986年8月1日 FC

 まず(1)森や草原が目の前に広がる世界、いかにも“冒険”という言葉が
思い浮かんできそうな世界を自由に歩き回ることができる。(2)攻撃しよう
とすれば実際に剣を振ってくれる。──買ってみようと思ったきっかけは、
こんなところでした。それから、ゲーム雑誌の紹介記事と共に載っていたパッ
ケージイラストにもあるように(3)主人公が女性(当時は少なかった)、と
いうのもありますか。
『冒険』それ自体は、何をしたら良いのか途中で行き詰まり、加えて、地下迷
宮でも迷っていたこともあって、攻略本を見ながらクリアしてしまいました。
結局、謎を解くという点では楽しめなかったわけですけれど、それでもマーベ
ルランドをBGMに耳を傾けながら歩き回ったことだけで十分楽しめました。
 ところで、私の選んだワルキューレは魚座のO型、ちなみに色は緑。「魔法
が得意という反面、力が弱い」タイプ。おまけに成長(レベルUP)も遅い、
ということも手伝って、最初いだいたイメージは、肉体面での力強さを感じさ
せる要素、例えば剣をブンブン振り回すかのような“活発な”姿は、あまりと
いうかほとんど想像しなかったです。また「勝ち気でワガママ」というフレー
ズに関しても、なんとなくピンと来ないのです。もっとも、最終的にはオノで
岩を砕き、ゾウナを一撃で退けるまでに成長していきますが… ともあれ、与
えられた使命を果たすため、敵に対して黙々と剣を振るう“超然とした、もし
くは寡黙な姿”というイメージが浮かんできました。またこれは、今もいだい
ているイメージの1つでもあります。
 あと、以上のことに関連して“声”が聞こえない、とでも表現すればよいの
でしょうか。人間的な感情(喜・怒・哀・楽)を表さない。いや、むしろ表す
すべを知らなかったのではないのだろうか、と。
 このように考え方が変化したのは『伝説』から受けた影響でした。


2.『ワルキューレの伝説』1989年4月 AC,1990年8月9日 PC-E

 初めて『伝説』のことを知ったのは隔月『NG29号』。表紙イラストに驚き
つつも巻頭特集を読みながら「あっ、あのゲームの続編なんだ」思い返してい
ました。プレイ状況はというと、アーケード版ではステージ2に行くのがやっ
とで、最後までクリアできたのはPCエンジン版のみ。それでもイメージが少
しずつ変化していきました。
 何が一番変化したかといえば、ワルキューレが実に表情豊かになっていた点。
敵から攻撃を受けた時、岩に押し潰された時、そしてアイテムや魔法を授かっ
た時に満面の笑みを見せるたび、こうも多彩な表情を見せるものかと感じたの
です。と同時に、笑顔とともにそこには、ワルキューレに力を貸してくれる
人々、仲間の存在がありました。
 そういったことからでしょうか。『冒険』『伝説』とマーベルランドへ降り
立ったワルキューレは、旅の途中で何度となく繰り返されてきたであろう、
かの地に暮らす様々な住人達との“出逢い”そして“戦い”を通じて人間的な
感情・心といったものに触れ、しだいに彼女の内にも芽生え育まれていったの
では、と想像するようになったのです。

「人(亜人類・妖精なども含めて)が望むよりも遥かに多くのことを為しうる
けれど、けして万能(絶対的な神)でもない」
──神の子、神でもなく人でもなく。


3.『ワルキューレの伝説 外伝 〜ローザの冒険〜』1996年4月26日 For WINDOWS

 先程は、ゲーム上での表現がそのままイメージの変化へと繋がっていったの
ですが、それとは逆に、シリーズにおいて“デジタルコミック”という初めて
ゲーム以外の形式をとったこの作品では、さほど影響を受けなかったように思
います。
 これは結局タイトルにもありますように「外伝」、あくまで主人公はローザ
であり、物語をローザの目の高さから見れば、ワルキューレがおしゃべりと感
じられるであろうし、コミカルな部分も強調されたのかな、と。
 そしてこれもシリーズ初の出来事ですが、各キャラクターが実際にしゃべり
ます。当然ワルキューレも、です。声に関しては、悪くはないと思ったし、
かといってこれじゃなきゃダメ、というわけでもないのですが… 今のところ
“声”を想像してもどうも思い浮かばない。外伝、と自分の中で割り切ってい
る以上に、声を意識することのなかった『冒険』での印象が、依然として
『ローザの冒険』でも残っていた為でしょうか。
 姿は『伝説』の方が好みなのですが、その性格は『冒険』の影響が強かった
りと、ワルキューレに対するイメージを好き勝手に想像していたのだと改めて
思い知らされたのです。


4.『ワルキューレの冒険 アレンジ』1998年9月23日 PS

 これは「ナムコアンソロジー2」にオリジナルと共に収録。内容は『冒険』
のストーリーを主軸に据え、『伝説』や『サンドラの大冒険』に関連するエピ
ソードを交えつつアレンジがなされています。私個人の感想としては、ゾウナ
の威厳が増し“対立するもの”としての存在感がより明確になったと感じたの
と、ワルキューレが「騎士」と呼びかけられていたのにはちょっと嬉しくなり
ました。
 それはさておき、アレンジはワルキューレ自身の装備にまで及んでいるのは
御覧の通りです。幅広の剣からメイスへ、羽飾りの付いた兜から鉢巻き+リボ
ンへ、等々。このような変更点において私の興味を引いたのは、羽飾りを意識
したであろうリボンでした。
 このアレンジ版では特に、サンドラ・コアクマン・ズールはもちろんのこと、
敵味方を問わず、多くのキャラクターが様々な場面において登場します。
──ストーリーを分かりやすく楽しめるようにとの配慮、という以上に『サン
ドラの大冒険』同様“出逢い”もテーマとしてあるのでしょうか。
 こうして出逢った人達との間に結ばれた“絆”がリボンを連想させるのです。

「天上と地上を、ヒトと人とを結ぶ懸け橋」

 このように思えたからこそ、今回は服装が変わったぐらいにしか感じなかっ
たのかもしれません。


5.忘れられないもの、時代を越えるもの
 ワルキューレの魅力とは一体何だろうか、またその魅力がどこから生ずるの
だろうかという疑問は、今でも折にふれておこるのです。

・ゲームの背後に感じられる世界観があったから?
 画面の彼方まで想像が広がってゆく、しっかりと構築された世界観。その一
端は『ワルキューレ ストーリーブック』でも垣間見ることができました。
・冨士宏氏のイラストだから?
 キャラが一人歩きした、あるいは、命を吹き込まれたとでもいえばよいので
しょうか。地に足のついた、というか「そこに存在する」。描かれたイラスト
を見るたびそう感じます。
・音楽のせい?
 プレイしている間はもちろん、思い返すときも記憶の隅で流れているのでは
ないでしょうか? 私は『冒険』のエンディングで流れる曲が気に入ってます。

 あの頃のゲームは、現在のものと比べてしまうと色々な点で見劣りすること
と思います。グラフィックは貧弱、それから説明不足、不親切さ、不条理さな
ども感じてしまうかもしれない… 否定はしないです。当時のハードの性能で
は表現できることが限られていたわけですし、カセットの容量もたいして多く
はなかったわけですから。
 しかしながら、そのような限られた環境のなかでプレイヤーは、世界に、
キャラに、想像力を働かせていました。解かなければならない数々の「謎」に
は、少なくしかも断片的なヒントを頼りにして、勘、ひらめき、想像力すべて
を総動員して挑んだのです。解けなければ、コントローラー叩きつけ、解けな
い自分に苛立ったりもしました。それが一転して、苦労の末に謎が解けた時に
は嬉しくもあり楽しくもありました。この時の感情が、ゲームを続けていく原
動力であり、クリアした後も印象を心に留める力になっていったような気がし
ます。
 一方で、現在は、プレイヤーが想像力を“働かせる”ことは少なくなったよ
うに思いますが、想像力を“膨らませる”要素はかえって多くなったのでは、
とも思います。
 10数年前と比べてみてもゲームを取り巻く環境は一変。雑誌、近年では企
業のサイトなどで発売前から情報を手軽に入手することができるようになって
きましたし、そして発売後も、攻略本や設定資料集の類からさらに詳細な情報
──制作スタッフからのコメント、ボツ稿や未使用の設定など──にふれる機
会が増えたように思います。(攻略本、たまに正確ではないこともありますが)
あとソフトの媒体は、CD、DVDが使われるようになり、ハードの性能も大
幅に向上しましたので。それにともない、ヴォイス、ムービーを使用しやすく
なったこともあるでしょうか。

 ハードといった技術面は関係なく、表現手段の多様化にも左右されず、また
ゲームの楽しみかたが変っていったとしても、これまでもそうであったように
これからも、それぞれの人に「強く心に残る」ソフトとの出逢いがあることで
しょう。私としては、そんなソフトの1つに『ワルキューレ』各作品&新作も
入ってくれたら嬉しいのですけどね。